歩み

6世紀末ころ

 雷電神社古墳が築かれる。


1215年(建保3)

 3月25日、伊勢崎の三浦之介義澄が山城国加茂大明神を勧請したと伝えられる。


1333年(元弘3)

 新田左衛門佐義貞は鎌倉幕府の追討にあたり、社殿を修理し、戦勝祈願をして鎌倉に向かう。


1560年(永禄4)

 赤石城主 赤石左右衛門、赤石又次郎が伊与久を領地し、神領地を寄進する。


1688年頃(元禄年間)

 伊与久沼(上沼、下沼、霞沼)が造られる。


1767年(明和4)

 酒井忠温が雷電神社の社殿を修理し、祈雨の祭典を行う。


1811年(文化8)

 豊蚕を祈る「蚕影様」が建てられる。


1823年(文政6)

 伊与久の畑野連平、畑野一刀司、他6名が連名で「直心影流剣術額」を奉納する。


1833年(天保4)

 3月、雷電神社拝殿に「格天井絵」が描かれる。4月、神楽殿が造られる。


1847年(弘化4)

 3月22日、正遷宮大祭典(御開帳)が行われる。


1869年(明治2)

 9月、須田雷蔵氏が神官として雷電神社の宮司となり、神社を整備し笹竹を植える。


1871年(明治4)

 1月5日、明治新政府は全国の神社の格付けを行い、村社に格付けされる。


1882年(明治15)

 3月、気楽流第15代高木周輔が「気楽流柔術額」を奉納する。


1888年(明治21)

 3月、正遷宮大祭典(御開帳)が行われる。


1897年(明治30)

 境内に散在する諸々の末社を合祀する。


1926年(大正15)

 1月25日〜2月3日、正遷宮大祭典(御開帳)が行われる。伊与久沼は雷電神社の所有となる。


1930年(昭和5)

 4月22日、村社から郷社に昇格する。


1980年(昭和55)

 「伊与久の森」が群馬県自然の森として群馬県指定を受ける。


1983年(昭和58)

 3月31日、「雷電神社古墳」が境町指定史跡となる。


1985年(昭和60)

 1月25日~27日、正遷宮大祭典(御開帳)が行われる。


2015年(平成27)

 3月25日、創建800年を記念して記念碑を建てる。12月10日、伊勢崎市の景観重要建造物に指定される。

正遷宮大祭典(御開帳)

本殿に秘蔵された御神像を特別公開する祭典。稚児行列や見世物小屋を作り奉納、特設ステージでイベントなども行った。